佐生 知嘉子
Chikako SASHO

子どもの頃から周りの空気を読んでしまう性格でした。それが今の仕事に活かされていると感じる一方、生きづらさとしても感じられていました。メンタルヘルスの学びにたどり着くべくしてたどり着いた背景には、とても苦しんだ体験がありました。

〈profile〉eMC2018年取得、東京都在住。医学部付属研究センター、企業勤務(TV局のキャスター含む)を経て、フリーアナウンサーに転身。産官学すべて勤務経験あり。現在は、官公庁の広報映像や企業CM、VPなどのナレーションや、シンポジウム、表彰式、プレス発表、トークショーの司会まで幅広く活躍。

学びが仕事に繋がっている

 本業はフリーアナウンサーという佐生さん。リカレントの学びが仕事にもいい影響をもたらしており、学んでよかったと実感しています。

「以前から、これからメンタルヘルス分野の必要性が高まっていく、メンタルヘルス業界がもりあがっていくと感じていて、仕事でシンポジウム等の司会をする際、「メンタルヘルス」というテーマに関しては、司会をするだけではなく、自信をもってパネラーの皆様をまわしていくコーディネーターもできる位の知識を得たいと思っていました。  いざ勉強をしてみると、日々の自分のメンタルケアはもちろんのこと、本業とメンタルヘルスが自然にリンクし新たな仕事を生み出すことに繋がる体験も増え、リカレントで学んだことを私生活へも仕事へも活かせていると感じています。学んで本当によかったです。
 また、仕事でいろいろな業界の人と出会うなか、今すぐにでもカウンセリングが必要だと思える方やEAPの導入が急務の企業の方をお見掛けしたりする機会が増えた、というかそう気づけるアンテナが生まれたことで、本業を続けているからこそ、そういった方々に向けて、メンタルヘルスの必要性やその価値を発信できる立場になれるのではないかと思えたことは、学んでからの発見でした」。  リカレントで学ぼうと思ったきっかけはどのようなものだったんでしょう。

「以前から、フリーアナウンサーのみでは、唯一無二の余程の差別化できる強みがなければ、続けていくのは厳しいだろうと感じてはいました。そのため、そろそろキャリアアップとしてもう一つ柱を作りたいと思っていたんです。知識欲が強いのもあり、仕事も安定してきたタイミングで何か資格を取りたいと、いろいろと調べていました。といっても興味のない勉強はしたくない。勉強がしたいわけではない(笑)。  フリーランスで仕事をしていると、趣味でも浅い知識でも、どこかでいつか必ず役に立つ、というタイミングがあって、どんな学びも仕事に活きるという確信はこれまでの経験から得ていましたので、自分が勉強をして楽しいと思えるだろうものに出逢うまで妥協せず探しました。  そして私がもっとも学びたいと、惹かれたのが『メンタルヘルス』でした。単純に学んだら楽しいだろうなと。趣味の延長です。リカレントに通っていた頃は特に仕事が忙しかったので、逆に教室で新たな知識を得る事は気分転換になっていました。
 私はカウンセラーになろうとは学ぶ前も今も思っておりません。つなぎ役になりたい。企業にメンタルヘルスのコンサルティングをすることは、そのような人材がこれからの時代にAIにはできない仕事として、ますます必要になると身をもって感じていますし、あとは、これまで培ってきた人脈と日々の仕事のクライアントさんへ、私の立場なら、アプローチが前置きなくすぐにできると感じています」。


ナレーション収録

「空気を読む」という性格

 子どもの頃から[生きづらさ]を感じることがあったとご自身を振り返ります。
「感受性が強く、子どもながらにいちいち思い悩んでしまって、そして大人の世界を冷ややかに見ている一歩引いた子どもでした。子どもらしく天真爛漫でいたかったのだと思いますが、周りを気にしてしまって、相手が言って欲しいだろうセリフや態度をしてあげてしまう、空気を読んでしまう。  その性格は今でもベースはそうですね。だから、アナウンサーという仕事は向いていると思っています。  アナウンサー、司会者は黒子なんです。本番のその時間、今日の会、よかったーと思ってもらうためには、主催者の意図や登壇者の想い、もちろん視聴者や観客の気持ち等、すべての方の想いを汲んで落としどころを見つけ調整することが一番の大事な仕事だと思っています。  私のことは記憶にない位が丁度よい。これは私の仕事のスタンスです。自分の気持ちよりも常に相手の気持ちを優先、子どもの頃からのもって生まれた性格、自分のそういう性格はすごく疲れますし、『自分の本当は何だろう?』と思ったりしたこともありましたが、だからこそ仕事で評価をいただけるのかなと、今はポジティブに捉えています」。

すべての方の想いを汲んで落としどころを見つけて調整するのが大事な仕事

学びがくれた自分を見つめる視点

「メンタルヘルスの勉強をしたことによって、自分はなんで子どもの頃から周りの目を気にして、言いたいことも言えなかったのかな(実際言えなかったことばかりではなく、好き放題の人生な気もしますが(笑))ということを、いろいろな視点で見られるようになったと感じています。すると、誰かのせいにしたり、自分の過去の環境のせいにしたりすることがなくなり、すーっと身体が頭が軽くなりました。
 自分にそういう変化があったことで、今メンタル不調に悩んでいる方も、もしかしたら少しでも知識があればセルフケアで思考を切り替えられたり、誰かに上手に助けを求められたり、社会資源をもっと身近なものとして利用することに繋がるのではないかと感じています。  知らないから上手くいかない、知らないから関心が持てなかっただけということはとても勿体ないなと。
 また、これまで仕事で身を置いてきた官民、また様々な業界、それらの経験を振り返ると、それぞれにまったく異なるカラーがあって、そこでしか通用しない常識みたいなものがある。自分がたまたまいる世界の独自の価値観に染まってしまっていった、正に環境が人を変える、ということの驕りや怖さも身をもって痛感しています。 『自分がこうだと思っていることって、実は違うんじゃないか?』と振り返るだけの余裕を常にもちながら、柔軟な視点でフラットに生きていかれたら素敵だなと。そういったマインドで今新たに取り組んでいる仕事をしていきたいと思っています。
 でも、忙しかったり、自分の仕事の関係者とだけで過ごし月日が経ってしまうと、どうしても忘れていってしまうんですよね。人間って。だからこそ、価値観が偏ってしまうことを予防するという意味でも、誰にとってもメンタルヘルスの知識やカウンセリングというものは必要なんだと思います」。

 カウンセリングやメンタルヘルスケアの必要性を強く感じ、自身の立場をうまく活かしながら発信していくための取り組みを始めています。

「メンタルヘルスに対する社会的な認知度を上げる、イメージアップに貢献したいという気持ちが強いので、それを具体的に仕事にしていきたいと思っています。まだまだ勉強しないといけませんが、企業へのコンサルティングなどに関心があります。  そのなかで、もしアナウンサーという自分の立場から、広報として表に立つ必要があれば、それもやっていくつもりです。今は副業としてメンタルヘルスのサービスを提供している会社で広報に携わっています。
 そういえば、記者会見や企業・官公庁の表彰式等の司会も日常の仕事としてこなしているなか、直近(昨年)のグットデザイン賞の若手部門では、メンタルヘルスを扱ったものがグランプリを受賞したり、東京都が主催する起業家支援のためのビジネスコンテストではAIを組み入れたカウンセリングサービスのアイディアプランが優勝しました。こうした社会的流れを勝手ながらとても嬉しく感じていて。  今、皆が社会に必須なことだと感じている、何かしなきゃと思っている、マイクを通してメンタルヘルスのキーワードに触れることが増えたなと肌感覚でビシビシ感じる日々。  新型コロナウイルスが社会に与えた影響による価値変容もあると思いますが、メディアでもネガティブな取り扱い方ではなく、当たり前のニュースとして取り上げられることが増えた。ですが、一般的な認知とはまだ乖離があると感じていますので、そのギャップを埋めていきたいです。EAPを導入していて、助かった良かったとのお声を聴けても、それを世間には言いたくない企業が当然ながら多い。  広報の仕事で心理の世界の方々とお仕事をしていて思うのは、お取引様の中で広報に協力してくれる企業を探すのは課題が多く、困難なことは想定内として、仕事を提供している側ですら難色を示すマインドがある。これをどう打破していこうかと今模索中です。メンタルヘルスについて気楽に発信するには、まだまだ日本は敷居が高いなと感じています」。

趣味の着物で司会をすることも

メンタルヘルスを学んだ
本当の理由

「自分の生きづらさなどがあったから、家庭環境に問題があったから、メンタルヘルスに興味が沸いた、ということもありますが、実はもう一つ、理由が潜んでいました。  奥底にしまい込み忘れていましたが。地方局でアナウンサーをしていた際、楽しいリポートをしていた現場が突然、何人も死者が出るような事件現場に。突然の悲鳴の嵐、そして一瞬にして一面が倒れた人々で埋め尽くされた光景となりました。自分の感情が今どうなっているのか理解できない、訳がわからず思考停止。情けないと思いましたが硬直して何もできなかった、それがその時の状態です。  ものすごくショックを受けたはずですが、目の前で起きたこと、目撃したことを受け止められないまま、次の日からもいつもと変わらず仕事をしていました。先輩が皆当たり前に局に出社していたので、そうするのが普通なんだと思い込むしかなかった。事件直後は警察で事情聴取を受け、リポートをしていた自分の声が入っているビデオテープから、なんでこの言葉を言ったのかと無意味としか思えない形式だけの質問をされたりもし、ずっとオーバーヒート状態。パニックだったはずなのに、表面上は冷静さを装い、落ち込んだらふさぎ込んだらいけないんだと、休んだりしたらもっと情けない気がし、無言の圧力に従うように、混乱状態のまま毎日仕事をしていました。
 その出来事や、当時の気持ちについて誰にも話してきませんでしたし、その事件が起こってしばらくし、退職をした私は、自分は逃げたんだなと思ってしまったりも。今、思えば残念ですが、それで自己嫌悪にもなっていたような気がします。そのときの心のケアを一切しなかったのは、やはりじわじわとその後の人生に響いていたようです。悲しさ、辛さ、とにかく誰かに謝りたい想い、複雑な感情を吐き出せていないので。
 それがメンタルヘルスを勉強し始めて、しっかりとそのときの記憶を、感情を伝えられるようになってきて。あのとき少しでもメンタルヘルスに知識があったら、誰かが『休みなさい』と言ってくれたら、少しは楽だったかもしれないな。そして私は逃げた訳ではないと、自分を責めることはやめて、自己肯定に入れるようになりました。
 なんで仕事を辞めないのかと、仕事を途切れなく続けている人生の中、そう立ち止まざるおえないタイミングが何度かあったんですけど、そういった実体験をいつか自分の言葉で伝えられたら、もしかしたら一人でも誰かの役に立てるかもしれない、というあの時、何もできなかったことが仕事を続けている理由なのかもしれない。  事件現場を目撃し、呆然と立ち尽くし何もできなかった、できないと思ってしまった私。右手にはマイクを持ってほんの数分前はインタビューをしていたのに。と。その惜しさが仕事へのモチベーションとエネルギーに変わり、そして模索をしながらも自然の流れに身を任せていたら、いつの間にかメンタルヘルスのお仕事へと結びついた。その手助けをしてくださったリカレントに心から感謝です」。


caption