村澤 清礼
Seira MURASAWA

10年ほど個別指導塾の先生をしてきた村澤さん。長く担当している子供たちのことは、まるで親戚のような気持ちでずっと見守ってきました。その温かな雰囲気と柔らかな口調から、子どもたち一人ひとりにしっかりと寄り添う、優しさが伝わってきました。

〈Profile〉eMC2021年取得、福島県在住。学習塾校舎長。人生のモットーは「思うがままに生きる」。

塾の先生として

 村澤さんは、福島県福島市に本社を置く株式会社イーブレインに勤務しています。同社はエデュケイト事業として個別指導塾も展開しており、そちらで校舎長を10年ほど務めています。小・中学生には5教科、高校生には数学・英語と幅広く指導するベテランですが、始めから塾講師をしようと思っていたわけではなかったそうです。
「同僚には塾の先生に憧れて目指した人も多いのですが、自分は学生時代に塾通いをしたことがなかったので、あまりイメージが湧かなくて。まさか将来、自分が塾の先生をすることになるとは思っていなかったですね。就職活動では、自己成長できると感じたこの会社で働きたくて、第1志望でした。塾の先生になったのは、たまたまです(笑)」。
 穏やかに語る村澤さん。教育業界も変革は多く、時代に合わせた指導が必要なのだそう。自然と先生も指導をアップデートしなくてはなりません。
「教科書や入試制度が変わると、自分が習ったことのないことを教えるということが結構あります。ここ3~4年は大学入試に大きな変革が起こりました。大学入試が変わると高校入試が変わり、さらには中学生や小学生の学習内容が変わってと、教育全体が変わってきます。自分が学ぶ機会がなかったことを今になって勉強するのは面白くて、なんだかもう一度学生になった気分で楽しいな、と思います。
 個別指導塾なので、一人ひとりの学力や個性の見極めは大事です。塾は学校とは違い、通わなくてもいいところですが、それでも私のところで習いたいと思って来てくれているので、自分が講師として何ができるのかなと考えながら、生徒とのコミュニケーションや関わりを大事にしています。
 関わりが長いと、小学校入学前から高学年まで面倒見たり、高校受験から大学受験まで見たりと、進級・進学する様子も見られます。『大学に入学しました!』という晴れやかなスーツ姿の写真を見せてもらうこともあって、なんだか甥っ子・姪っ子を見守ってきた親戚のような気持ちですね。生徒の成長を目の当たりすることができて、それは講師冥利に尽きます」。


社長と。メンタルヘルスの話を毎回しっかり聴いてくださいました

どうしてeMCを?

「実は、教育業界は3年離職率が高いのです。後輩がメンタル不調で休職したり、辞めていったりすることもあって。そういうのを先輩社員として肌で感じて、自分に何かできないかなと思っていました。
 最初はメンタルヘルスマネジメント検定を受検しました。試験会場に行ったときにeMCのことを知って。実践に活かせるものをと考えていたとき、カウンセリングということに惹かれて、eMCの説明会に足を運びました。それがきっかけです」。
 その後、習得したカウンセリングスキルは、仕事で活かしています。
「会社では、1ヵ月に1回くらいのペースで、後輩のメンタルヘルスのことだったり、上司に申し出て、新入社員のカウンセリングをしたりしています。先輩としてのアドバイスなら、なんでもズバッと言えますが、カウンセラーとしてだとそうはできないので、難しいこともありますが、これも学びになっています。
 塾の仕事はワンオペなので、生徒の指導以外に生徒募集活動や保護者対応もすべて対応します。
 そのなかで、保護者懇談会では、いい感じで傾聴ができたかな、と思うことが多くあって。長いときには2~3時間、保護者の方とお話するときがありますが、『スッキリした』と言っていただけると、保護者フォローという面でもカウンセリングスキルが活かせていると思うことが大きいです。丁寧に傾聴することで、我が子の点数を上げたいんだという話の裏に、子を思う親心を知ることもあります。コロナ禍で保護者同士のコミュニケーションが減り、保護者も悩んでいることがわかります。窮屈な感じで、人と人との間に壁があるみたいな感じですね」。


バインダーと社員証入れ。すでにボロボロですが毎日使ってます

自分は自分でいい
自分が許せました

「カウンセリングによって、自己理解を深めることになると思いますが、実は自分のことが好きではなくて。どうも自己肯定感が低いのです。世の中には自己肯定感を高めようという傾向がありますが、カウンセリングを学んだことで[自分はそのままでいいのだ]と気づいて。自分のことが好きではない自分に納得ができて。自分は自分でいい、と思える自分を好きになったかな。自分を許せて、楽になった気がします」。
 有名塾の有名先生のように、塾の先生に対しては周囲が持つイメージがあります。一個人の指導者というよりも、塾の看板を背負う存在として求められているものがあり、村澤さんはその間にギャップがあると感じていました。でも今は、変えられないことを考えていても時間の無駄だと思えるようになって、気が楽になったそうです。


大好きなエッセイストのchikaさん。フィンランド語を勉強して老後にフィンランド移住したいです(笑)

ずっと大事にしてきたこと

「実は、19歳のときに友達を失くしました。彼女はメンタル不調だったのですが、当時は何もしてあげられなかった。病気や治療薬についても知らなくて。亡くなる直前に電話で話すことができたのですが、でも、そのときにはもう遅くて。
 何もできなかった自分を悔やみましたが、次第に、自分が学びたいと思ったことを学ぶことが、彼女のためにもなるではないかと思いました。そういう思いでいる頃に、メンタル不調になった職場の後輩がいて、友達のことが重なりました。また何もできないのではないか、後輩を失くしてしまうようなことはあってはならないと。同じような後悔をしたくないと思ったのも、学ぼうと思ったきっかけのひとつです。彼女のことがなかったら、こんなに学ぼうと思わなかったかもしれません。
 自分の身近な人は、自分で幸せにしたいと思っています。これは大事にしたい、揺るがない思いです」。

これから

「大学では広く福祉を学びました。大学を選ぶときには児童福祉士を目指していたのですが、当時は児童虐待のニュースが多く、児童福祉士の立場が危険なことも多々あり、目指すのを止めてしまったのですが、いつか子育て支援に関わっていきたいという思いはあります。
 大学院入学の年に東日本大震災がありました。自分の地元の福島では、津波や原発事故のことが生活する上で大きな問題でした。子供のいる方は福島から他県に移動したり、その土地に残って生活したり。そういった状況を見ていて、研究テーマを『震災後の子育て世帯の支援の在り方』にしました。ゆくゆくは子育て支援の仕事をしたいなと思っています。
 学習塾に勤めて、教育というのは子供への支援ではありますが、本当に自分がやりたいことなのかなと……。振り返ったときに、ちょっと違うかも……という思いが出てきました。福島県の海側は段々と避難解除が出されて、人が戻ってくるようになりました。新しく移り住む人も増えています。そんななかで子育て支援になるカウンセリングができたら楽しそうかな、と思っています。
 お父さんお母さんは、子どもに『こうなってほしい』という思いが中心になっていて、自身のことを考える機会がそれほどないように思います。その人がその人らしくいられる時間を、カウンセリングを通じて提供できたら、親という役割以外でも個人としてもっと人生が豊かになりそうだなって。それをやってみたいと思っています」。
 村澤さんの温かな眼差しは、今、目の前で必死に勉強を頑張る生徒たちだけでなく、福島で子育てを頑張るお父さんお母さんたちへも注がれています。次はきっと、たまたまなんかじゃありません。在りたい場所へ村澤さんが舵を切る日には、福島の海側は再び賑わいを取り戻しているのでしょう。待ち遠しいですね!