平井 美香
Mika HIRAI

「バリバリの保険営業マン~人材育成マネージャー~押し花作家~ホスピスでのコーディネーター~福祉施設での支援員」こんなユニークなキャリアを歩んできた平井さんだからこそ見つけた今があります。

〈Profile〉eMC2019年取得、東京都在住。社会福祉法人障がい者支援施設勤務。娘が昨年結婚し、現在一人暮らし。趣味はコーヒーを淹れること、友人とランチに行くこと。

その歩み

「今は、社会福祉法人の知的障がい者施設で主に支援員として働いています。他にも特別養護老人ホームや児童養護施設などもあります。私は、日中は施設の敷地内にある喫茶室で、障がいを持つ利用者さんにコーヒーを作ってお出して、余暇的な部分をケアしています」。
 穏やかな表情と柔らかな語り口調が印象的な平井さん、福祉の世界にいるとうかがって納得です。
「前職は病院のホスピス病棟でボランティアコーディネーターをしていたんです。ホスピスは、余命が限られた方に、人生の最期を穏やかに迎えるためのケアを提供する施設です。毎日、ケースカンファレンスに出て、患者さんの体調や状態を見て、どんなボランティアがサポートに入るかを決めます。  ご家族もいなくて一人で寂しくしている患者さんはボランティアが入り、話し相手になってあげたり、ご家族やご本人の話を丁寧に傾聴して、内容によってはドクターやナースに繋いでいくんです。医療従事者と患者さん、ご家族を結ぶ仕事でとても重要な価値のある役割だと感じていました。だから続けたかったけれど、経営者が変わり、経営方針が変わったことで同じ思いで仕事をしてきた仲間が辞めてしまったんです。  私も辞めることにしたとき、今の職場の上司に福祉施設に来ないかって誘われました。当時、その上司に言われたことが、なんでそんなにパワーがあるの?って。私の企業の発想や病院での働き方は、福祉の世界では考えられない。でも、そういうのがないと福祉の世界が変わらない、あなたは福祉にいないタイプだから、ぜひ来てほしいって」。


押し花アーティストという顔も持つ平井さん。コンテストで賞を受賞した作品

繋がるチカラ

「一番最初は大手の保険会社で総合職として働いていたんです。保険営業なんてとんでもないって思ったけど、やってみると案外面白かった。いろんな人と出会って関係が作れるのが楽しくて。でも、女性の多い職場で、妬みや陰口もあり、そういうことに巻き込まれるのも疲れるので、そろそろ辞めたいと言ったときに、もったいないから辞めないで続けてほしい、と本社のトレーナーに推薦してもらい、新人職員の教育指導、営業業務をすることに。当時は支店の一営業部員がいきなり本社のマネジメント業務に就くというのは、会社始まって以来の異例のケースだったみたいです。保険の営業時代に培ったものが、どうやら私の土台になったみたいです」。
 その土台とは、「繋がるチカラ」に違いありません。以来、人と対話して関係を育てていくことや、いろんな人と繋がって何かすることがとても上手な平井さん。病院でコーディネーターをしているときも、その力が評価され、広報や営業の仕事も現場からのラブコールを受けて手伝っていました。同時に、なぜかナースやドクターから相談を受けるが多く、いろんな先生が平井さんのところに来て、相談を聴いていたそうです。
「あなたカウンセラーに向いているって言われたんですね。もともと心理には興味があったけど、事情があって、なかなかやりたいことがやれないできたので、やってみたいなっていう思いがあって、思い切って産業カウンセラーの勉強を始めたんです。この頃、ちょうど娘が難病を患って入院していたので、仕事と娘の病院に行く合間に勉強をしていました。でも、余裕がなくて肝心の資格認定試験を受けられなかった。当時は、もういいやってあきらめたんです。でも、やっぱり資格を取っておけばよかったって後悔をずっと引きずっていました」。


北海道・富良野にて。当たり前のような旅行でも私には何かを始める大きな一歩でした

あきらめかけた思い

「娘の闘病をめぐって悩みもありました。主治医には、おそらくずっと入院生活になるかもしれないと言われてしまったけど、なんとか娘を普通の生活が送れるよう退院させてやりたいと思って必死でした。離婚もしていたし一人でやっていけるのか不安で、でも、職場の人や友人たちが支えになってくれて、それは私には大きな力でした。  そんなこともあって娘をなんとか退院させるこができた。娘は中高と4年間学校に行けなかったんですが、大学に行きたいと言って、1年で遅れた分を猛勉強して、高校も通信に編入、大学は推薦で合格することができたんです。その思いの半分は私のためだったかも知れません。それまで娘の見る景色が全部グレーだったけど、そこから見る景色に色がついたって。それを聴いたときは本当に嬉しかった。  娘が無事に4年間で大学も卒業でき、やっと安心できたタイミングで、やっぱり心理学やカウンセラーをやりたいって思って。リカレントを知って学ぶことに決めたんです。2018年のことでした」。  リカレントでの学びはどうだったのでしょうか。
「楽しかったのと何とかカウンセラーになりたい気持ちで必死でした。担任の荒井先生は厳しかったけど、あなたはカウンセラーに向いてるわよって、だから厳しくしたんだよって言われたんです。すごく嬉しかったですね」。


娘と

繋がって形にすることが好き

 eMC資格取得後も平井さんはEMCA会員の交流の場に参加し、仲間と繋がることを大切にしていました。その「繋がるチカラ」は病院から次のステージに選んだ福祉の世界で、さらに発揮され、平井さんをイキイキと輝かせました。
「福祉施設に入職して最初の6年間は、地域福祉コーディネーターとして、区と地域包括支援センター、社会福祉協議会と連携をとりながら地域で困っている高齢者の支援に忙しく飛び回っていました。外部の医療や学術界の有識者とも繋がって講演会をコーディネイトしたり、お隣には有名な男子校もあったので、学生にボランティアに来てもらったり。地域とのやりとりはすごく楽しくて、とてもやりがいを感じていました。  私は、人の話を聴いたり、悩みを聞いたり、一緒に考えて問題を解決したり、外に出て、いろんな人に会ったり、繋がって、仲間とアイデアを出し合って何かを形にしたりすることが好き。そこにとても充実感を覚えます。どうして人と関わるのが好きなのかなって? その方が笑顔になるのが嬉しいなと思うんです」。

また何かしたいな

「コーディネーターの仕事は天職だって思っていたので、上司が病気になってしまって部署が存続できなくなってしまったことは、とても残念でした。またそういったことができたらという願いはありますが、今は、プライベートで前の病院の仲の良い看護師さんの話を聴いたり、知り合いの引きこもりのお子さんの相談に乗ったり、行きつけのカフェで身の周りの方々のお話を傾聴することにカウンセリングスキルを活かしている感じです。
 人生、振り返るといろんなことがありました。苦労もあったけど、思い返せば、友人に恵まれ楽しかったな。心配だった娘も去年結婚しました。母として娘の幸せが一番大事なので、本当によかった。コロナ禍も落ち着きつつあるし、ようやくここでまた何かしたいなって思いにもなっています。お友達の看護師がフットケアの資格を取得し、彼女にとても刺激されます。一緒にフットケアとカウンセリングを繋げていきたいねと夢を膨らませています」。
 これまでの道のりは平坦ではなかったけれど、安心に辿り着いた今、これから何をしようかと思い温めている平井さん。天性の繋がるチカラがどんな形になるのか楽しみです。