増井 一
Hajime MASUI

M&Aを繰り返す製薬会社で長年人事を担い、定年を機にフリーランスとして独立。国からの委託を受け、「セルフキャリアドック」を広める活動に尽力している増井さん。リカレントでもキャリアコンサルタント更新講習の講師として大活躍中です。

〈Profile〉eMC2014年取得、横浜市在住。一般社団法人キャリアコンサルティング振興協会常務理事。厚生労働省委託キャリア形成・学び直し支援センター事業アドバイザー。趣味は旅行と囲碁。

支援したいと思っても
支援できない

 中堅の製薬会社にMR(総合職)として入職した増井さん。「外資系企業と合併したことで、早くからキャリアについて考える機会に恵まれた」と言います。
「年功序列の習慣が根強い日本企業と異なり、外資系は概ね実力本位です。そのため、スピーディーで実力本位のキャリアパスが用意されています。その分、『自分はこうなりたい』『こんな仕事を手掛けたい』という本人の強い意志とチャレンジ精神、苦しみながらもその業務を回していける力が必要となります」。
 自らのキャリアを考えながら仕事をしていくなか、広く社員のためになる業務に携わりたいと考え、人事について勉強。増井さんは入社17年目に念願叶って人事に異動しました。
「人事では、人事制度の企画・立案、教育研修の他、さまざまな社員の支援など、多種多様な業務を経験してきました。そのなかでも、休職者の復職支援はとても難しかった。多くの人が復職しても上手くいかずに退職していきました。一度休職すると復帰が難しくて、休職を何度も繰り返してしまった結果、戻ってこれなくなったケースを多く見てきました。支援したいなと思っても支援できない現実を突きつけられたのです。
 その経験から、できるだけ休職する前に改善に向けていく、早期発見が大事だと気づきました。メンタルヘルス不調を未然に防ぐために、ストレスを発生させないこと。早期発見して対処していく取り組みが必要だと実感していました。
 具体的なアクションとしては本人、上司や同僚による気づき、健康診断、ストレスチェック、産業医による相談対応などが挙げられますね。不調者本人が気軽に相談しやすい環境を整え、産業医や主治医と連携を取りながら重症化しないように対応することが重要なんです。
 うつ病と診断されると、病気として扱われ、我々人事も助けたくても手出しできない領域となってしまいます。だから、それ以前に人事がどうやって関わっていけるのか。臨床心理士さんとのやり取りを学ぶために、EAPの勉強をすることにしたんです」。

働き方の変化と共に
人も変わっていく

「人間誰しも心が病むこともあります。他人に相談するというのは、自分の考えを整理するということでもあるので、誰かに相談する・話すこと自体が大切なことです。同じフロアで別の部署に勤務し、人柄がわかっている相手の方などには相談しやすいです。そういう存在が近くにいれば良いのですが……。
 企業の取り組みとして、外部EAPが設置されていても、日本人の場合は行かないことが多いですよね。実際には、社内の風土を知っている社内EAPのほうが相談しやすい。仕事もメンタルもキャリアも、何でも相談できる仕組みが社内にあるのは、すごく大事なことです。
 日本のEAPはメンタルに特化していますが、アメリカではキャリアや私生活の支援もしています。日本人の場合、相談に行く=メンタルが弱い人が行く、という雰囲気があって、どうしてもメンタルの支援だとハードルが高くなってしまう。日本は少し遅れているように感じます。働き方が変わっていくにつれて、人も変わっていくことが大事です。その辺りが変わってくるといいなと思います」。
 増井さんの語りに熱が入ります。

自分の身は自分で守らないと
いけない時代

 90年代に製薬会社はグローバルで合併をしていきました。増井さんの勤める企業もフランス・アメリカと次々と合併に巻き込まれていきました。
「M&Aをするとどうしてもリストラが起こります。特に50歳代の方がリストラ対象になる。困っていた先輩を見て、会社は自分を守ってくれない、自分の身は自分で守っていかねばならない、自分のキャリアや資格を社内だけでなく、世のなかでも通用するように身につけいけないと生きていけないな、と痛感しました」。
 増井さんがキャリアを見直すきっかけとなったのは、それだけではありませんでした。もう一つは「人生100年時代」。長くなった人生の「生きがい」でした。
「50代になると多くの人が老後の心配をし始める。自分もそうでした。定年後に何ができるかと、ハローワークで検索しても、人事の経験を活かした人事系の仕事はありませんでした。働き方が多様になって選択肢が増えていき、人生100年時代といわれるようになった今、自分の[生きがい]や[やりがい]を見出すことが大事だと考えて、自分は55歳のときに定年後はセカンドキャリアとしてフリーで働こうと決めました。
 そのためには、早くから準備が必要だと思って、仕事をしながら5年間準備をしました。最近、よく聞かれるリスキリングに取り組んだのです。フリーになった当初は仕事がなかなかありませんでしたが、リカレントで出逢った仲間や同僚から仕事を紹介してもらうことで、だんだんと輪が広がっていきました。そう考えると、会社とは関係ないネットワークや学びが大事なんですよね」。


増井さんが共著で手掛けた専門書「SELF CAREER DOCK入門/実践」はセルフ・キャリアドッグの教科書のような本

「人間力」があれば

 増井さんは、現在は厚生労働省が実施する、国をあげたキャリア形成の取り組みである「セルフキャリアドック」を企業に導入する支援に、2016年から継続して参加しています。
「近年、グローバル化やITなどによる環境変化、人口減少などの社会変化の激しさは否めません。その影響によって働き方も変化し、企業と従業員の関わり方も変わってきています。
 企業側としては、さらなる発展・成長のためにも、人材育成を積極的に実施し、個々の従業員の職業能力やモチベーションを高め、定着率と生産性を向上させることが重要です。それには従業員をサポートする必要があり、その役割を期待されているのがキャリアを支援できる専門性を持った存在です。けれど、何事もスキルを身につけただけで上手くいくわけではないですよね。ことキャリア支援に関しては、キャリアについて迷い、不安を抱いている「相談者を助けたい」想いを持つことが何より大切だと思います。
「人間力」があれば、相手は信頼してくれる。「人間力」とは、知的能力、社会・対人関係力、自己制御の3つの要素をバランスよく持っている人。そしてこの能力を高めるためには、常に「相手を知り、己を知り、人様のために何ができるかを考え、それを可能にするために何をすべきかを考えて、自ら行動する」ことが必要なんだと思います。
 単に相談を聴くだけでなく、一人ひとりの価値観や人間性に寄り添い、共に課題解決に向けて走ることができる「伴走者」であること。自分はそうありたいと思うんです」。

キャリアコンサルタント更新講習でセルフ・キャリアドッグの講座を担当。リカレント新宿で

日本の企業を活性化していきたい

「最近では日本の国際競争力、企業力が低下していますよね。それは課長の力量が落ちていることも要因だと思います。企業の力量は課長を見ればわかるといわれます。なぜなら、課長が部下をマネジメントし、育成しているからです。
 上司が変われば部下も変わる。職場も変わります。職場環境が改善されれば生産性が向上します。管理職の人たちがダイバーシティの時代にどうやって変わっていくか、とても重要な課題だと考えます。部下にとって上司は最大の職場環境だといえます。
 今はコンサルタントとして企業の人事とタッグを組んで、人事の立場から、人材マネジメント・部下育成・職場環境の改善をしていく支援の準備を始めている段階です。一人ではとても回しきれないので仲間を作り、ネットワークを持って、この取り組みを推し進めていきたいと思っています。管理職のマネジメント力、部下育成力を強化することが、日本企業の稼ぐ力の復活に必須なものと確信し、その実現に向けたさまざまな活動を継続していきます」。