シュールズ志保里
Shiori SCHULES

「I hear you.」これ何の意味かわかりますか?「あなたの気持ち、わかるよ・伝わっているよ」です。米国でソーシャルワーカーとしてDV被害者支援をしていたというシュールズ志保里さん。アメリカの現場や支援にかけるその思いとは?

〈Profile〉eMC2023年取得、東京都在住。大使館職員。夫・5歳の男の子+雑種猫2匹の家族。趣味は散歩と音楽鑑賞。

普通の始まり

シュールズ志保里さんは、米国のアイオワ大学で修士号を取得してソーシャルワーカーとなりました。その後、シアトルに移り、DV被害者のための支援NPOで働いていました。
「アメリカでいい人になるのは結構簡単なんですよ。みんなが自然に手をさしのべる、困った人を助けるのが普通の社会なんです。でも日本人は慎ましやか過ぎて、人助けを躊躇する人のほうが圧倒的に多くて、そんな社会で生きていると支援が特別なことのようになっちゃうんだろうなって。帰国してからそんなふうに感じていました」。
その瞳と、ふんわりとした笑顔がとても温かくて、シュールズさんと居ると自然とぽかぽかしてきます。DVを受けて傷ついたアメリカ女性たちのこころを、この柔らかさで包み込み、支えてきたのだなと、とても納得がいく気がするのです。シュールズさんは山口県の出身、小さい頃はお兄ちゃんの後ろについてワーワー!やっていたおてんばな女の子だったそうですが、フランス文化に興味を持ち、「星の王子様」の研究がしたくて北九州の大学へ進学。
「卒業後はそのまま大学に残って、留学生のお世話をする仕事を3年ほどしました。とても楽しかったですね。一方でずっとアメリカの大学院に行きたいという思いがあって、ならば日本語の先生になる勉強をしようって渡米したのですが、これが全然おもしろくなくて……。『私の人生終わった』と思いました(笑)」。
当時、シュールズさんの暮らしていた地域では地元の山口から出る人間など全然いなかったそうです。アメリカ行きは『(日本で)ちゃんと就職しなさい!』と猛反対するお母さんを押し切っての強行軍だったため、もう後には引けない……。
「その頃、日本文学を通して社会的弱者に寄り添うというユニークな取り組みをしている超パワフルな先生の授業を受けたことで私の正義感に火がついた。『私も何かやらなきゃ!』という気持ちになっちゃったんですね(笑)。
じゃあ何をする?ってなったときに、北九州で留学生のお世話をしていたことがとても楽しかったので、どうしたらアメリカでそういう仕事がやれるのかって調べたら、ソーシャルワーカーの資格を持ってると、あらゆる分野で使えることがわかって、そうなんだ!って(笑)。どうせなら学生だけじゃなくて、いろんな人のお世話がしたいなって思って、再びソーシャルワークの学部に編入したんです」。


USAのアイオワ大学院で修士号を取得

アメリカでのDV被害者支援

ソーシャルワーカーとなったシュールズさん。仕事をするのに日系人が多いシアトルを選び、大学の先生に紹介してもらったDV被害の支援NPO「DAWN -Domestic Abuse Women’s Network」で支援員となりました。一体どんな現場だったのでしょうか?
「DVを受けて傷ついた女性たちを保護し、カウンセリングや心理教育、新しい生活のためのサポートなんかをするんですが、アメリカのDVって、もしかしたら日本も一緒かもしれないけど、基本は洗脳ですよね。そこからどうやって逃げ出すか。家の中に監視カメラが設置されていて、すべて夫に見張られてたりも普通にある。警察官がDV加害者だったりもするんです。『警察には気をつけろ』なんていうのは、アメリカならではかもしれません。
アメリカの場合はやっぱりクライエントにフィジカルな危害が及ぶ心配は常にしていたかもしれません。薬物とかごく当たり前のようにあるし、本当に銃も簡単に買えちゃう。小さな銃を持つことも全然珍しいことではないんです。
また、アメリカでもDVのある家庭は共依存が起きていることも少なくありません。そうなると支援は難しくなります。やはりクライエントの自主性は尊重したいので、DVを受けて保護されても、自分でやっぱり夫の元に戻りたいとなってしまったら、どうしようもないんです。どこで手を引くか。何度も繰り返してDAWNに出入りしている女性たちはいましたね。
やはり、アメリカ社会では支援者としての怖さもあります。でも、DAWNでは、志を一緒にしている仲間と働くってことがすごく楽しかったですね。スタッフはみんな友達みたいで、年代も近くて、いかにも同志って感じでした。いつもみんなで知恵を絞って、困っているクライエントをどう支えていくか、全力で支援するという情熱的な支援現場でした」。

日本でカウンセラー

そんなシュールズさんもアメリカ人の旦那様が日本の大学での仕事が決まり、一緒に帰国することになります。それから10年ちょっと、可愛い男の子のママにもなり、現在では、育児と仕事を両立させながら、とある国の大使館で働いています。では、どうしてリカレントで再び心理学やEAPを学ぶことになったのでしょう?
「帰国後もソーシャルワーカーはずっと続けたいって思いがありました。でもカウンセラーなんて日本で簡単になれるわけじゃないしって思ってたんです。そんなときに、仕事帰りの電車で「カウンセラーになれる!」ってリカレントの宣伝を見て、ぽちっと資料請求したのでした(笑)。
自分には日本での企業経験がないから、企業のシステム的なところを勉強できたのはおもしろかったですね。例えば役職定年が辛いとか全然知らなかったし。心をわかろうとするっていう経験をするってことは普段ないじゃないですか。こちらの対応によって、こころの内面を引き出せるかどうかが変わってくる。それを実感できたことは、とても気持ちよかったです。
そして、日本にも人のことを考えて、人のためにと頑張っている人がこんなにいるんだって。クラスメイトの温かい気持ちを感じながら勉強できたことは、すごくよかったなって思っています」。


家族で過ごす安らぎの時間

おうちの2匹の猫も大切な家族

「普通」をこれからも

シュールズさんにとって、ソーシャルワークとはどんなものなのでしょう。
「自分がやれることだからやっている、そんな感覚なんです。例えば、誰かがパッとものを落としたら、パッと拾ってあげるじゃないですか。自分でできることだからやっているだけ。[普通]です(笑)。
アメリカに行ったことも、ソーシャルワークも、特別って感覚は持ってないんです。誰かを支援するってことも普通の流れのひとつっていうか。寝て起きてご飯を食べるのと同じ、自然な流れの感覚でやっていたいなって。カウンセリングは、死ぬまでやりたいって思っています。
私、早くおばあちゃんになりたいんですよ(笑)。人生の経験値が上がると、それだけ助けられるキャパシティが広がる気がして。これからは多分、私は若者にフォーカスしたソーシャルワークをしていきたいなと思います。地域に住む外国人のお話を聴く機会があれば、それもやりたいかな。
そして、思うのは、日本でカウンセリングのハードルがもっと下がらないかなって。社会全体として。アメリカのように、ちょっとでも迷ったり困ったことがあったらすぐカウンセリングを受ける、それが普通な社会になるといいなって願っています」。
今、シュールズさんの温かな眼差しは日本の社会と日常に注がれています。これからも、その[普通]で、たくさんの人を包んでいくのでしょう。