小野瀬 茂
Shigeru ONOSE

請負ドライバーとしてさまざまな会社へ出向きハンドルを握っている小野瀬さん。乗車するお客様の話に耳を傾け、語り掛け、カウンセリングのスキルを磨く日々。「いつか自分なりの支援の形を見つけたい」という思いを抱きながら。

〈Profile〉eMC2019年取得、茨城県牛久市在住。埼玉県川口出身。霞ヶ関の片隅で運転業務。妻と2匹の老猫(共に12歳)の家族。趣味はカラオケとドライブとマンガ。

20年越しの思い

「新宿校に来るときに必ず行くところがあって、どこだと思います?」
マスクの上に並ぶ楽しそうな目。その目からは人を喜ばせたい思いがこぼれ出ているよう。大きな体をゆすって弾むように話し出した小野瀬さんのEAP取得には、20年越しの思いがありました。
「業務中の怪我で保険金をもらったとき、何か形に残るものにしようと思ったんです。そう思ったとき、昔、メンタルヘルスカウンセラーを取りたくて取れなかったじゃないかと。以前勤めていた会社で労組(労働組合)の執行委員をやってたとき、メンタルやられて停職しちゃう人をいっぱい見てきたんですね。それで、[世の中にはメンタルヘルスカウンセラーという資格があるらしいから取らせてくれ』って労組に言ったら、『やりたいなら自分でお金出してやれ』って言われて。そのときはそんなお金なかったので諦めたんですけど。20年越しですね」。
 20代後半から始めた労働組合の活動は5年間に及びました。30半ばで活動から離れ20年。小野瀬さんは「20年後にまさか、ね」と、抱えてきた思いを語ってくれました。

どうにもできなかった日々

「労組には、たまたま年次的な順番で、みたいな感じで入って、やってみたら結構面白くて。労組をやらなかったら会社辞めてたと思います。つまらなくて、きつくて。販売だったんですけど言われるんですよ、上から。『数字が人格だから』って。売れてるやつが神様。その頃まだバブルの余韻が残っていて毎年給料が上がるんだけど、『お前給料上がるくせに売上そのままかよ』って言われるんですよ、毎日。
 辞めてしまおうと思っていた。でも労組の活動をやって、自分と同じように辞めようと悩んでる人を助ける側に自分が回ってみて初めて、これってすごい必要だよな、って気づいたんです」。
 当時の思いをかみしめるように小野瀬さんは話します。
「家族がメンタルやられて、お店まで来て怒鳴り散らすのを目の当たりにしたこともあります。仲の良かった人間が久々に会ったらおかしくなってるっていうのもありました。そういうのをケアする人間が必要なんじゃないかっていうのは、ずっと思ってたんですね。ずっと、どこかにあった。病んでいる同僚たちをたくさん見てきて。でもどうにもできなくて」。

カウンセラーの道を探して

 労組を離れたしばらく後、会社を辞め、20年。小野瀬さんに予期せぬ形で転機がやってきたのです。
「労災で骨折したんですよね。それで3ヵ月間休んだんですよ。そうしたら昇進の話フイになっちゃって。半期6ヵ月の半分休まれたら評価できないって。それで、なんのために働いているのかって思って。
 そういえば、辛い思いをケアする人間、メンタルヘルスカウンセラーになろうと思ってたよなって、急に思い出して。資格取るなら、そういう方面に行ってみようと思ってリカレントの門をたたいた。昇進してたら絶対ここには来てないですよ。つまずいたときに気づく」。
 資格を会社で活かしたいと思った小野瀬さんは、会社に、労組に、働きかけました。
「まったく動こうとしない会社や労組に砂を噛む思いで、ちょっと疲れちゃいましたね。早期退職で何回目かに肩叩かれたときにもう潮時かなと思って辞めたんです。
 それからメンタルヘルスカウンセラーとしていろいろあたってみたんですけど、50歳過ぎでカンセラーの実務経験がない人はってことなのか。今は前職の職業ドライバーの実績を活かして、請負ドライバーの仕事をしながらカウンセラーの道を探しています」。

毎日が自己研鑽

 カウンセリングプラクティカムのカウンセラーを9ケースは担当したという小野瀬さん。請負ドライバーとしていろいろな会社に出向き、さまざまな方を車に乗せる。その車内を研鑽の場に変えて、日々、カウンセリングの腕を磨いています。
「この人は何でこんなこと言いだすんだろうとか、なんでこういう考え方なんだろうとか、っていうのを自分なりに想像して、自分なりに答え合わせをする。障りのないように長男? とか、末っ子でしょう? から始めて」。
 請負先によっては若い方を乗せたとき、愚痴がいっぱい出てくることがあるそうです。
「EAPメンタルヘルスカウンセラーの名刺を渡して、資格持ってるから何かあったら言ってね、と言うと、そのときは大丈夫ですって言うんだけど、あとで電話がきて……」。
 相談はもちろん無償。名刺を渡すのも「内緒でやるとまずい」から相手先の部長や支店長にイの一番に名刺を渡しているそうです。
「いろいろ聞いてみると、すごい旧家の生まれで躾は厳しかったとか、勉強で苦労したことがないけど喋るの苦手です、とか。この人ってこういうバックグラウンドがあるからこういう性格なんじゃないかって思って深堀してみると、合ってた、やっぱりそうなんだっていうのがあると面白いですよね」。
 小野さん自身は下町の生まれで、「すごいガラッパチのなかで育った」とか。
「カッとしやすいところがありますね。会社でもすぐキレてぶつかるっていうのはよくありましたし。学びを通して、カァーッとなって怒る自分も認めなきゃいけない、怒る自分も好きだけど、それを抑える自分も作んなきゃいけない。怒らない自分もいいよねって、幅を広げたい、そういう気持ちですね」。


「ガラッパチ」で心温かい、が小野さんの持ち味

「いいことありますように」

 自分の隣にいる人に心を配る、そんな小野瀬さんの活動を、ずっと隣にいる奥様はこういっているそうです。
「カウンセラーみたいに一生できる資格を持っているのはいいよねって。ただ、それで稼げるかどうかは別だから考えてね、とは言われます。生活の基盤にはなっていないので。でも、やりたいなら応援するよ。いつかお金が得られるような形が見つかるといいよねって」。
 家族の応援を受け、小野瀬さん自身の形を探すなか、運転業務の請負先で話を聞いた若者の一人から「辞めようと思っている」と打ち明けられたことがあるそうです。「辞めたら大変」という若者に、小野瀬さんは「辞めた人、一人ひとりに大変か聞いて回ったの?」と訊ねたそうです。労組の活動を通して、辞めようと思ってるって相談する人は辞められないと思ってる、だから苦しい。と感じてきたから出てきた言葉だといいます。
 若者から「すごく楽になった」と言われたと眼を細くする小野瀬さんに、若者たちの話を聴くときの思いを尋ねました。
「カウンセリングによって、もうちょっとみんなが楽になれるといいなっていう。生き方とか楽にできるように、そういう手伝いができればなと思ってやっています。声と喋りには自信があります!(笑) 学生時代、放送サークルでアナウンス部長だった経験を活かして、現在、EMCA関東支部で不定期に『カウンセラーとしての話し方』講座を開催してます」。
 小野瀬さんからの冒頭のクイズ「新宿に来ると必ず行くところ」の答えは、「花園神社」。小野さんは、「今日もいいことありますように」と、必ずお参りをしてからリカレント新宿校に向かうのです。小野瀬さんの「いいことありますように」は、小野瀬さん自身だけでなく、小野瀬さんの隣にいる人、周りにいる人、そして今日、小野瀬さんに電話をかけようとしている若者のためのお願いでもあるのでしょう。イイコトアレ。