松信 陽子
Yoko MATSUNOBU

現在、相談業務に携わっている松信さん。「自分に何かできることがあれば」という思いで15年間、走り続けています。まだ課題がいっぱいあるから、とeMC試験の合格通知をもらって早々に研修にカウンセリング・プラクティカムにと、意欲満々に“支援”と向き合っています。

〈Profile〉eMC2022年取得、茨城県在住。相談業務、夫・娘・息子+ミニウサギの家族、趣味は書道。

考える前に動いている

 子どもの頃は「どうしよう」という気持ちが強く、一歩が踏み出せずにいたという松信さんですが、いつの頃からか「とにかくやってみる」になっていたそうです。その行動力が発動するのは「気持ちが動いたとき」。
 初めて気持ちが動いたのは、大学卒業後に勤めたIT企業を退職した後のことでした。
 入社して3年、メンタル不調で辞めていく何人もの姿を目にした松信さんは、「困っている人の話が聴けるような仕事がしたい」という思いを上司に伝え、その思いだけを握りしめて退職します。そして退職後、松信さんは自分でも驚くような行動に出ます。
「なんか電話をかけてたんですよね、話を聴いてくれた上司の家に。息子さんの家庭教師をしたいって」。
退職の相談をしたとき、上司の方は「困っている人を助ける仕事は必要だ」と言って、学校に行けなくなってしまった息子さんの話をしてくれたそうです。
「すごく優しく穏やかで、悩みがあるとは思いもしなかった上司が打ち明けてくれて。気持ちが動いたんですね。学校に行けないっていう息子さんの気持ちを知りたいって」。
 松信さんは家庭教師となり、息子さんは高校、大学と進み、今や社会人。
「それは20代のときの私なんですけど、何かを探してたのかもしれないですよね」。
 2度目に気持ちが動いたのは、結婚後。
「義母の介護をしながら家にいるときに、新聞に相談関係の募集があったんです。私もすごく大変なときだったから、聴いてもらいたいなっていう気持ちが。自分と同じように困っている人がいるかもって思うと、そういう方たちと関わりたい、家にいて育児とお義母さんだけではなくて、と思って飛び込んでいった」。
 そして3度目に気持ちが動いたのは、2021年。

お散歩・偕楽園にて

知らないから知りたい

「2021年のゴールデンウィークに夫がバイク事故に遭いまして、そのことがきっかけで1ヵ月、怪我の治療をして。その後、会社に戻ったんですけど、昇進をしたばかりでストレスも溜まっていたところに大好きな趣味の事故で、メンタル不調になって」。
「話、聴いてもらいたい」と言うご主人のために心療内科を探しているとき、EAPを見つけます。
「知人がうつ病になったときに助けてくれた先生を教えてくれて。『休むなんてありえない』って言う主人に、『これはもう休むべき』って、先生が診断書をすぐ書いてくださって。そこから4ヵ月休んだんです」。
 ご主人が休みに入ると、EAPのオンラインクラスを見つけた松信さんは「途中からでも!」と学び始めます。
「従業員支援のプログラムって見て、知らないから知りたかった。働いている人のストレスを相談できる場所。そういう場所、主人の会社にはないなって。真面目な人が悩んで苦しい思いをしている、それを守れるような、そうだなって気持になっちゃって。
 講義が終わると主人と散歩に出かけて。隣を歩く主人が、とつとつと『もういいかな』って……」。
 ご主人の追い詰められた気持ちを感じた松信さんは、「息子がまだ大学行ってるんだから辞めちゃいけないんだよな」と言うご主人に、寄り添うことができたといいます。
「学んでいたおかげで、主人のことは主人が決めればいいんだよなって。だから、『どうしても大学に行きたいとなったら息子の力でなんとか行けると思うから、働かなきゃとは思わなくていいんじゃない』って言えた。前の自分だったらどうだったろうなって、そう言えたかなって。いろいろなケースを読ませてもらって、自分の気持ちで決めていくのがとても大事なんだなって思えたんですよね。だから主人の気持ちを大事に、尊重しなくちゃって」。
 毎週、散歩をするうちに、だんだんと、いろいろな話をしてくれてるようになったご主人。ひと月、ふた月と経ち、休職予定期間を迎える頃、「やっぱりこのまま辞めるのは悔しい」と。
「主人がそういう気持ちになったならって。そのとき先生から『復職して大丈夫』って。会社も主人が復職するときにメンタル不調者が多いからって、職場の環境調整をしてくれたんです。今は、休日の釣りを楽しみながら、仕事に行ってます」。
 復職の際も松信さんの焦る気持ちに、EAPの学びが教えてくれたそうです。
「慌てないでゆっくり、スロープを上るように、ちょっとずつ」。

結婚25周年記念のお祝い

知らなかった自分を知って

 ご主人を支えるために学び始めたEAPですが、自分自身のことを知ることができたと言います。
「結構やりたいことあるんだとか。こんなことまだ引っかかってるんだ、整理ついてなかったんだなとか。そんなこと思っている自分を知らなかったけど、そうだったんだ、って」。
 特に大きかったのは、自分のなかの辛い気持ちや苦しい気持ちを見ないようにしていた自分に気づいたこと。
「息子が生まれたときに義母が難病を患って、20年。子育てしながら介護してたんですね。今、振り返ると、息子が幼稚園に入る頃がいっぱいいっぱいだったかな。デイサービスと幼稚園の送迎バスが同時で、いろいろ覚えていく息子とは反対に、どんどん自分のことができなくなっていく義母を見て。義母の病気のためにこうなっちゃったって思いたくない、だから辛い気持ちをどこかに押し込めていたのかもしれないですね。主人にも言わなかった。でも、辛さはあったかな」。
 ロープレで自分のことを話して、他の人の話を聴いて、手放せた気持ちもあるといいます。
「自分のことを話そうとすると、ふっと出てくるのは父と母。
7年前に父を亡くして、私、喪失感がすごくあったのに、そのことちゃんと話してないな、って。母がすごくショックを受けていたのはわかってたから、触れたくないかなと思って。母のこと、心配し過ぎてたのに気づいて、『そっか、これはいいんだ』って、ちょっと少し手放せたかなって」。
 押し込めてきた自分の気持ちを、学びを深めながらひとつずつ手放していきたいという松信さんには、学びを深めながらやりたいことが、もう一つ。

思い出いっぱいの家族旅行

20代のときに探していたもの

 ご主人に出会った頃、ご主人に伝えた支援の仕事をしたい、という気持ち。
「居場所づくりができたらいいなって言っていたんです。そうしたら主人は、『自分には特に夢がないから、そういう夢があるなら応援したい』って言ってくれたんです」。
まずは、自分の近くで悩みを抱えている人の話を聴かせてもらえる場所を作りたい。次に遠くに離れた人でもオンラインで、と松信さんの気持ちが動き始めます。
「オンラインだからこそ話せるっていう人は絶対いると思うんですね。遠くの人といろんなこと学んだり、話し合えたり、共感できる。繋がっていきたい。企業がお金を出してくれるようなシステムができて、働く人が困ったときには相談を受けられるよ、話してみたらって場所ができたらなって。悩んでる人が金銭的にも大変な思いするのではなくて、企業、社会全体で場所を提供する、みんなで出し合ったらできるんじゃないかなって。
 何かが、少しでも暮らしやすく、生きやすく、何かがちょっとでも変わったらいいなっていう願い。自分が抱えてきたからかもしれないですけど、一人で抱え込まないで、一緒に考えていこう、一緒に考えていければいいなって」。
二人のお子さんがそれぞれの夢に向かってスタートを切り、お義母さまが他界されて介護生活が終わった今、松信さんは人生の転機。ご主人の応援を受け、思い描いた夢に飛び込んでいく!